ベートーベン 弦楽四重奏曲13番 作品131

金曜日



晴れ。温かし。一昨日までの寒気は去ったらしい。おかげでストーブも点火せず。午前中は思い立って市の健康診断へ。受検者が多くて結果が出るまで時間がかかるらしい。もうそれを気にする必要もないだろう。人生の消費期限を過ぎているのだから。

学生の頃だったと思うが、一冊の本を持って無人島に流されることになったら、一体何を持って行くか、というアンケートがあって、集まった答えの中に、ベートーベンの後期の弦楽四重奏曲の楽譜を持ってゆくという人がいた。
その頃はこちらは楽譜の読み方など関心はなく、ベートーベンの後期の弦楽四重奏曲も聴いたことはなかったが、世の中には精神の高尚な人がいるものだ、という感じが残った。

そして、半世紀後の今、ここ2〜3日、ベートーベンの弦楽四重奏曲全曲16曲を、楽譜を追いながら聴いた。もう何度目か?ベートーベンの音楽は後期に書かれたものは形式も音楽も前期、中期のものとまるで違う。交響曲の世界も「エロイカ」や「運命」と「第九」ではまるで違うのだ。ベートーベンの後期の曲は精神を深いところに導く何か「祈り」のような雰囲気がある。作品111の最後のピアノソナタも2楽章の短い曲だが、初期の作品18の6曲のようなハイドンの如き明るい雰囲気は消えている。じゃ暗い音楽かというと、そうではない。余計なものをそぎ落として、ベートーベンの生涯の到達点だけを残したような音楽になっている。弦楽四重奏曲もそうだ。後期に書かれた6曲は形式だけ見ても、一般的な4楽章で書かれたものは2曲だけで、あとは5,6,7楽章ものとフーガだ。「運命」のようにダダダダーンと力づくで主題を訴えるのではなくて、静かに、得々と語るような雰囲気だ。ドビッシーは1作品131の曲などふざけていると言ったらしいが、自分は6楽章形式で書かれたこの13番作品131が一番好きだ。特に第4楽章のカンタービレの美しさは言い様がないくらい。因みに吉田秀和の「私の好きな曲」という本を開いたところ、最初に書かれていたのが、この作品131、嬰ハ短調の曲だった。わが意を得たりというところ。