「受け皿」のなくなった日本。

金曜日 雨
爽やかであるべき”美しき5月”も雨。気温も低く気象予報の姉さんは 外出は長袖で などとTVでつまらぬお節介をしている。ご本人は半袖のくせに!氣にしなくてもいいことが氣に触るようになってきた。
 
昨日はメーデーだった筈だが全くそのニュースがないのは何故だろう?自分も若い時は労働組合の一員として、デモ行進にも参加し労働歌をガナリたてたものだが、今は働いている人の環境や、労働条件が様々で「組織労働者」という言葉も消えてしまった。かって労働組合は働く人の不満、不平、主張などを吸収する受け皿だった。今はその受け皿がなく、不平、不満を自分で抱えたままジッと耐えるしかないのだ。悲惨なことだ。
高齢者の問題もそうだ。かってはお互いに(*^。^*)の見える地域社会 平たく言えば向こう3軒両隣、世間がお互いを助け合ってきたのだが、その絆がなくなっているところが多いのではないかと思う。
後期高齢者医療の問題に至っては、市町村の扱う健康保険と違って顔の見えない「連合体」なるものが主管になっているから「情」が通うわけがない。これは国が制度的に「受け皿」を取り払ってしまったのだ。
問題を受け止める受け皿のない社会では、連帯感がなくなってしまう。社会の安定感、未来への希望、相互の信頼も薄くなる。あの「美しい国」どころではない。
小泉改革以来バラバラになった日本、これを大きくまとめる政治家は出てこないものか。