ジャンクリストフと「猫」

金曜日 晴れ。
やや暑し。だが、湿気はなくクーラーも不要。この位が丁度いいかな?

鳩山内閣の閣僚は、ひとりひとりが何をしようとしているのか、動きがわかり易く、自民政権を長く見ていた目には爽やかで新鮮な感じがする。これが「政権交代」のメリットだろう。自民党が党内抗争に明け暮れていては、民主党のライバルにはならない。早く健全な政党に脱皮して民主党と政策を争うようにならなくては、二大政党の名前が廃る。国民が選択出来る、価値ある野党にならないといけない。民主党一辺倒では危険だ。批判を許さぬ独裁を招く。権力を長く握ると腐るというには誰でも説く教えです。

ロマンロランは何とわが夏目漱石と同世代。1歳だけ年下である。漱石は50歳で没したが、ロマンロランは77歳という当時としては長寿を全うした。そして「ジャンクリストフ」は、あの「我輩は猫である」と同じ年に書き始められた。「猫」は1年8ヶ月の雑誌連載、400字詰原稿用紙860枚の長編小説だが、「ジャンクリストフ」は7年かけて完成させた壮大な大河小説。「猫」は、漱石と思われる苦沙弥先生の所に集まる面々の取り留めの無い会話を綴ったもので、会話を讀ませるだけ。決して社会性のある作品ではない。一方「ジャンクリストフ」は、環境と社会に翻弄されながら音楽修行を続けるクリストフの人間形成の物語。この年になって読んでもそのスケールの大きさに感嘆出来る。長い長い物語で、まだ三分の一ぐらいしか読んでいないが、傍にあれば、いつでも楽しみながら読むことの出来る作品だ。いつでも摘める上質の金平糖のようなもの。急いで読み終わらなくても、好きな時に好きなだけ読み進めばいい。漱石とロマンロランを並べて論じたものなど読んだことはないが(そんなものに意味はないだろう)同じ時代にこれ程センスの違う作品が書かれていたのは面白いことだ。
 だが、「ジャンクリストフ」を今頃読んでいるというと、照れ臭い思いもする。