風雨の日曜日 能とN響

日曜日  雨。
かねての予定で横浜能楽堂へ。雨の中だったが、横浜能楽堂の特別公演で、お目当ては、観世清和師の能「山鳥」見所は満席。お目出度いことだ。
 今日の演目は、能「山鳥」のほか狂言「木六駄」。
狂言は山本則直が太郎冠者を熱演。伯父に届けるよう主人に頼まれて、木の柱30本と、諸白なる酒の樽を6頭の牛に積んで雪の中を運んでいる途中、寒さしのぎに茶屋に入った挙句、茶屋の主人とこの酒を飲んでしまい、酔っ払って茶店の中で寝込んだところを、探しに来た伯父に見付けられてしまう というお馴染みのストーリーだが、謡曲の一節を謡いながら酔っ払いの千鳥足で舞台を動きまわる則直の演技は見事なもの、酒杯のやりとりなど、こんなに愉快な酒なら、飲めもしない自分も中に入りたいと思った程だ。とにかく狂言には何を見ても深刻な気分にさせるものがないのがいい。

能「山鳥」。
 シテ 観世清和。ワキ 福王和幸。アイ 山本泰太郎。
1916年に山崎楽堂が書いた作品で5年前に横浜能楽堂で関根祥六によって初演されたもの。今日は2回目の上演。能の内容は説明的で平板な印象だったが、後半のシテの「中の舞」が優美で流石!と思わせた。

プログラムにシテの面の紹介があったが、これはいいことだ。ほかの公演でも、上演曲の、面とか装束の説明をパンフレットに入れて貰えれば有難いが、出来ないことなのだろうか?師匠に聞いてみたいものだ。

N響に時間、この番組が始まって30年ということで急ぎ足で30年の司会者を紹介、自分としては芥川也寸志の印象が良かったがさしたるコメントなし。演奏ではラフマニノフの3番の協奏曲を弾いたラン ランに度肝を抜かれた。まだ19歳のときだが、全身の力でピアノを叩きまるでスポーツのパフォーマンスのよう。それで演奏に乱れはなく、上手でグレングールドの再来の様な感じがする。今や世界中の人気を集めているようだが、さもありなん。

司会の池辺晋一郎も今日が最後で西村朗と交代の由。13年続けたそうだが、13年前の映像は頭が黒々していて別人のごとし。自分はどうだろう?やや気になるところだ。池辺ーN響のことは別の書くつもり。