加藤周一死去。

金曜日 晴れ。
北の風、寒し。今年もあと10日あまり、世の中 明るさの見えないまま歳を送ることになりそうだ。
明るさが見えないどころか、世界的な規模で、長いことかかってやっと手に入れた庶民の平和な生活、ささやかな資産、社会秩序などが、ガラガラと崩れ出したような気がする。それが、いつごろどんな形で停まるのか、誰もわからない。正月を前にして、沢山の人が家もお金も失って、希望の無い路頭に迷うことになるとは3ヶ月前には考えられなかったことだ。突然の失業、企業倒産の多発、これが世界的な規模なのだから怖い。先の見通しを語って希望を与えるのが政治家の責任ではないのか、このままでは何か良くないことが起こりそうな気がしてならない。

 


もう半月も前だが加藤周一が亡くなった。89歳。
日本文化を、断片ではなく、内外の多くの事象に関連付けて総合的に語ることの出来た稀有な知性の持ち主だった。大江健三郎は「大知識人」と評して追悼の文を朝日新聞に寄せていた。多くの著作があるが、自分は殆んど持っていない。岩波新書の青版にある自伝「羊の歌」正続はあるはずだが、今のところ所在不明。朝日新聞のコラム「夕陽妄語」が加藤周一に接する専らの機会だった。
今の大混乱の世界については、ついに発言が間に合わなかった。もう1年長く元気だったらハッとさせられるような意見が聞けたに違いない。この人は言葉が何にも増して強いことを信じていたのだから。このような人が消えると味わう喪失感も大きいものだ。