日本語のオペラと能

月曜日 雨。



寒し。今日の雨は予報どおりだが、昨日は雲一つない快晴で夕方は富士山のシルエットもきれいだった。


夕映え? それともたそがれ?





又予報が外れるのかと思ったが残念ながら予報どおりの雨。終日蟄居、何もせず、居ながら老人を決め込む。
 オペラ歌手の岡村喬生氏(1931年生まれ、早稲田大学グリークラブ出身)が、同じオペラ歌手の佐藤しのぶとのTV対談で、「音楽は先ずオペラだ。日本でもオペラの上演は増えたが、外国のものを持ってくるだけではダメ、やはり日本人の作った日本語のオペラがにお客さんが集まるようにしなくてはいけない」というようなことを云っていた。なるほど日本語のオペラというと、貧弱な知識で頭に浮かぶのは団イクマの「夕鶴」くらいで、あと頭にあるのはドイツ語、イタリア語、フランス語の作品だ。たしかに偏った現象だが、だから日本語のオペラを増やせ、という意見にはもろ手を挙げて賛成という気にはならない。何故か?

日本には世界文化遺産にも認定された「能楽」という立派な歌舞演劇がある。曲も200を超えるレパートリーを誇り、「歌劇場」ならぬ各地の「能楽堂」で折にふれ公演されている。長年ヨーロッパの歌劇場で活躍された岡村氏が、日本人は、日本人の作った、日本語のオペラをもっと、と主張されると、日本には「能楽」があるじゃないか といいたくなる。この「能楽」を「オペラ」の横に並べてどうこう比べることはできないが、オペラ「夕鶴」(これは名作です)のような作品をいくつ並べても、本場のオペラにくらべると普及度はまだまだし、ましてや600年の歴史のある「能楽」の重さとは比較は出来ない。
要は「能楽」はオペラとならべても恥ずかしくない芸術だが、日本語のオペラが「能楽」や「本場オペラ」と肩をならべられる日がくるのかどうか、なかなか難しいのではないかという気がする、日本語のオペラは同好の士の研究、実験のレベルでいいのではないかというのは言いすぎか?