国立能楽堂 求塚を観る。

水曜日 晴れ。


 夕方から「浜友会」の稽古へ。歯の治療直後で、声出しの調子悪し。稽古は時節に合わせ「杜若」。15年前に舞台にのせた演目だが、全く覚えていない。難しい曲だ。
 二度目の腰の手術をしたK氏、元気で復帰。医者からは野球もサッカーもやっていいと云われたそうで、こちらはもう追い抜かされた感じ。でもめでたいことだ。

24日は国立能楽堂へ。能楽堂に入る前に珍しく目白周辺を歩いてみた。近くには椿山荘とか雑司が谷鬼子母神などの名所もあるが、大正7年に鈴木三重吉などによって創刊された子供のための文芸雑誌「赤い鳥」の発行所あとの「赤鳥庵」を含む庭園が「目白庭園」として公開されているそうで、そこを見てきた。


目白庭園 入り口


 赤鳥庵



ここにはには何故か男性が多い。


男はつらいよ


女性は優雅にお茶の会。  赤鳥庵の座敷で。




 おまけ、  JR目白駅



 目白から国立能楽堂 師匠の会へ。




狂言 「伊文字」 
 シテ 山本東次郎
喜多流 能 「求塚」
 シテ 友枝昭世
 ワキ 宝生 閑 
 大鼓 柿原崇志 小鼓 鵜沢洋太郎 笛 一噌仙幸


「狂言」は東次郎さんのいい声とお客さんのクスクス笑いを子守唄に、いつもの通り気持よく眠る。
贅沢な居眠りだ。極楽!

「求塚」 若い女性が二人の男に恋い慕われたために、地獄の苦しみに責められるという、今では信じられない物語。世阿弥作と伝えられる。岩波の古典文学全集では父の観阿弥作をとっている。シロートにはどっちでもいい。
 前場はシテ、シテツレ2人の早春の若菜摘みの綺麗な叙景。ツレの2人が退場して、残ったシテがワキに塚の謂れを語るところから雰囲気がガラッとかわる。何かが起こりそうな予感のまま、シテは塚の中に入る。
後場は塚のいわれを述べるアイの語り、それを聞いたワキの読経があって、塚の覆いが外され、痩女の面をかけた後シテがあらわれる。朗々たる地謡と、名人そろいの囃子、そして人間国宝 閑さんの飄々たる科白まわしに支えられ、痩女のアトシテは、全体として重い雰囲気を漂わせ、時に激しく責められる苦しみを演ずる。シテの舞いも動きもないが、それでいて緊張感の張り詰めた2時間だった。演技が終わり演者が退場するまで見所にはしわぶき一つなし。みんな演技に惹き付けられたのだろう。師匠の演能はいつも何かを与えてくれる。まさに当代の名人だ。