岩波新書「チベット日記」

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中国の外相が来日している。彼はチベット問題について、「騒乱はダライ集団が組織的に計画し、国内外の独立勢力と相互に結託したもの、聖火リレーの妨害も独立勢力によるもの」と朝日新聞の取材に対して語ったという。(今日の朝刊)一方、26日に聖火リレーが行われる長野市では善光寺がリレーの出発点となることを辞退する旨意思表明をした。(18日)理由は「チベット弾圧への考慮」。考慮というのは穏やかな表現だが、実際は抗議ということだ。チベット騒乱について中国とチベットのどちらが善玉でどちらが悪玉なのか、部外者には全く判断がつけられない。世論は何となく中国悪玉論に誘導されているようだが若しかしたら一方的な解釈かも知れない。
1961年の5月に、岩波新書からA,Lストロング著の「チベット日記」という著作が刊行されている。1959年に起こったチベットの反乱後(この時ダライラマはインドに亡命した)始めてチベットに入ったアメリカの女性ジャーナリストによるルポである。訳者は西園寺公一


チベット」という文字に引かれて最近70円で買ってきたものだが、読んでみると、信頼性の高いはずの岩波新書にしてはお粗末な出来であった。本来 翻訳本には必ず訳者による原著者の紹介と、原著のなりたち、訳者がこれを翻訳、出版するにいたった経緯などが、あとがきなり、訳者序文などで綴られるものだが、これが全くない。読者は原著、原著者への予備知識なしに本文に接しなければならない。本書のように必要なことが出来ていない翻訳本を手にしたのは始めてだ。また、「チベット日記」といいながら、全く日記の体裁ではない。何故このような書名にしたのか、また、翻訳が、原著の全訳なのか、抄訳なのか、それもわからない。当時、この岩波新書がどのように紹介されたのか、また特別な批判があったのかどうかも知りたいところだが今から探れるかどうか、でも興味のあるところだ。チベットという大事なテーマだけにこだわってしまう。
さて 問題から外れてしまったが、この著作に書かれていることははっきりしている。ダライラマ悪玉論、中国救世主論 毛沢東賛美論である。
今のチベットで起きている問題は、地球の屋根、世界の秘境ともいわれる高度4000メートルのチベット高原に、固有の宗教と文化に支えられて静かに暮らしていたチベット民族が、チベットを中国の1部とみる北京の政策に翻弄され、チベット鉄道に代表される環境破壊や、北京の政策でチベットに移住してくる多数の漢民族による固有文化の破壊、たとえば、チベット語を押しのけて漢語を強制されることや、あの文化大革命による僧院の破壊など、チベットの人たちには耐え難い思いが積もり積もって今の騒乱をまきおこしているとみるべきなのだろう。歴史的、地域的、そして精神的な「秘境」が容赦なく破壊されつつあるのだ。
一方、チベットは歴史的に農奴の国だった。ダライラマを頂点とする貴族、人口の5パーセントに過ぎぬ彼らが、大衆を僧院に束縛し、逃げようとする者には拷問を加えて見せしめにしていたという。「チベット日記」の著者は何人かのチベット人をインタビューして生活の実態をレポートしている。この点は本書で参考になるところだ。ダライラマがインドに亡命した1959年の反乱は、この農奴の蜂起だったという指摘をしている。このとき毛沢東人民解放軍を派遣してチベットの民衆を解放し、チベットの人は自由を謳歌している、というのが「チベット日記」のレポート、である。
たしかに、チベット農奴の国であるのは事実だし、物のように売買される奴隷も人口の5%ぐらいあったというのも事実だから、民衆の支配階級への憎しみは大きかっただろう。この感情が今どうなっているのか、よくわからない。またダライラマへの信仰心はどうなのだろうか?本当は民衆の「憎しみ」の対象のような氣もするのだが。チベットの内部に歴史的に蓄積された反支配階級の感情と、反漢民族の感情がどう絡み合っているのか、客観的に問題が整理されるまではまだまだ時間がかかるだろう。