日曜日  晴れ。暖かし。
昔なら今日は紀元節。今は建国記念の日で国民の休日です。だが小学生に、何故今日が日本の「建国の日」なのか をどのように教えているのだろうか?興味のあるところだ。8月15日の方が民主日本の「建国」にふさわしいとも思われるが、反対!を叫ぶ人が多いだろう。

穏やかな天気に誘われ街までウオーキング。脚がトラブルをおこすまではごく当たり前に歩いていた道だが、今は半分リハビリ意識で歩く。この意識が無くならなくてはダメだ。



コースの難所です。調子の悪い時は片足ずつ登ります。



石段を登ると梅の公園へ。


漱石「こころ」読了。3回目くらい。漱石の作品の中でも、この「こころ」にはファンが多い。自分も初めて読んだときは、乃木将軍の殉死のあとを追って先生が自殺するという結末には惹かれるものがあった。だが今読むとこの作品にはわからないことが出てくる。
先ず、主役である「先生」の正体がわからない。教師としての先生なのか、ただ呼称としての「先生」なのか、とに角「先生」としての生活が全く書かれていないので呼称なのかな とも思うが、それにしても何故「わたし」が「先生」と呼ぶのか、そこがよくわからない。「わたし」の親は就職のことは先生に頼めば良いところに入れると期待するが、そんな世俗的なことはまるで縁がないような「先生」なのだ。何をしている人なのか、全くわからない。
もうひとつ、この先生が何故奥さんを置いて、乃木さんの殉死に引かれて自殺しなければならないのか、この大事なことがわからない。明治天皇の死と乃木将軍の殉死は漱石、鴎外のような明治の人には大変なことだったのは良く理解出来るが、この「先生」が自殺するという必然性は読み取れない。作品の上では「自殺します」という遺書だけがあって自殺したところまでは書かれていないから、もしかしたら「自殺」の宣言だけして本当はどこかで生きているのではないか とも考えられる。この辺は研究者の見解を調べてみたい。先生は乃木将軍の殉死を知って自殺を考えたと遺書に書き、それは自分の妻には黙っていて欲しいと、書き足している。
そこでもうひとつ、「先生」の奥さんは誰なのか、ストーリーの上では下宿先の「お嬢さん」と思われるが決定的なことは書かれていない。この「お嬢さん」には「先生」と同宿していたKが恋心をもっていたが首尾はたせず、下宿の自室で自殺し、先生が後始末をするというもうひとつの山があるのだが、この事件が先生の奥さんを残して自殺する遠因になっていると思わせるところもある。いずれにせよ、現代小説にはないモヤモヤが残る作品です。