ひらがな文化

火曜日 晴れ。
暖かく春の如し。外出せず。雑事とりとめもなし。
52会のメンバーから寄せられた近況報告を20編ほど読んだが、日常の気がかりが自分や伴侶の健康問題になっている人がジワジワと増えているのがわかる。一方で80才を過ぎて毎年一冊、本を書く人や、ウオーキングの会に入ってこの一年に20回参加したという83才の人、70才になった記念にイタリアの山に登ってスキーで滑降した人など、ある年齢を超えると人生は二極化するような気がする。ある年齢とは75才くらいか。自分はどっちつかずの、中途半端で存在感のない毎日を送っているのだが、これが二極の中間にある多数派かもしれない。

謡本「草紙洗小町」を読んだ。この能は歌あわせの華やかな舞台がテーマなので新年のお目出度い演目として上演されることが多い。わが浜友会も初稽古はこの「草紙洗小町」で始められる。登場人物は紀貫之大伴黒主小野小町壬生忠岑、など有名なタレントがズラリとならぶ。ところが紀貫之壬生忠岑古今和歌集の選者、小野小町大伴黒主六歌仙として紀貫之古今集の序で称えた人たち、時代が違うので顔を合わせることは出来ないはずだが、舞台を面白くするためにこの能の作者(不明?)がそんなことにこだわらず作り上げたもので、今は能の名曲としてしばしば上演されている。


ということで、思いつきで古今集の仮名序を読んだ。有名な「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろずのことの葉となれりける」ではじまる紀貫之の文章。美辞麗句は多いが、わかり易い名文で音読に適している。
古今集は905年に完成したものだが、それまでの日本語の記述は「古事記」も「万葉集」も漢字が用いられていた。なにしろ飛鳥、奈良の昔は「唐」の文化が日本を覆っていて、今のアメリカ文化の如くだったのだ。古今集の撰者は「万葉集」にも入らない歌、短歌ばかり千首以上も集め、きちんと春、夏、秋、冬,恋、賀など系統立てて編集し、ひらがなで叙述したことが文学上の大きな特徴といわれている。「万葉集」が一つずつの歌に魅力があり、歌集全体が雑多なエネルギーにあふれているのにくらべ、「古今集」は、編纂の巧みさから、全巻を通して均質な優美感を味わうことが出来るといわれている。後の平安女流文学につながるものなのだろう。「草紙洗小町」は作られたのは「古今集」より300年以上もあとのことだが、歌がひらがなで書かれていなかったらこの作品はうまれなかっただろうと思う。なにしろ天皇の前で歌詠み達がさらさらと短冊に書きしたためることなどひらがなでないと出来ないことだろう。
以上 つまらない思いつきです。 (参考 高橋睦郎 読み直し日本文学史)