岩波文庫80年

火曜日  晴れ 夕方から曇り、のち雨。
今日も暖かい。ストーブ不要。1年前の今日は春1番が吹いて、日記には、庭の梅も咲きだしてやっと春がきた、などと書いている。去年は寒い冬だったのだ。
 今年の元旦の新聞に、岩波書店が、岩波文庫創刊80年記念として、昭和2年7月9日の東京朝日新聞に掲載された「発刊の広告」を復刻して載せていた。レトロな感じが出ていいコピーだった。そして創刊書目の23点を、創刊時の体裁をそのまま復刻し箱入りのセットとして21千円で売り出した。だが本当に「読む」人はこのセットは買わないだろう。なにしろ「戦争と平和第1巻」「実践理性批判」「藤村詩集」など、およそ関連のない作品をセットにして買わねばならないのだ。参考のために「復刻」の装丁を見ようとしても、書店には「箱」が並べてあって肝心の岩波文庫を見ることは出来ない。このセットを2万円も出して買うのはどの様な人なのか、余計なことだが気になるところだ。
 ところで今日の朝日新聞に、丸谷才一氏の「岩波文庫創刊80周年」と題する論評が載った。名物コラム「袖のボタン」である。丸谷氏は本の小売店には2種類ある、岩波文庫を置いている店と置いていない店、そして前者の方が上、という書き出しから始まって、自分の岩波文庫の思い出をいろいろ書目を挙げながら語っている。それなりに面白いのだが、読みようによっては自分が如何に多く、そしていかに広く読んでいるかを誇示しているような感なきにしもあらず。
自分も、戦後本など望むべくもなかったころ、父の持っていた古い岩波文庫を開くと巻末に既刊書目の一覧があり、これが皆あったらどんなにいいだろうか と思ったり、高校時代友人が,ウチには岩波文庫が50冊くらいある というから見にいったらあるのは岩波文庫ではなくて、春陽堂文庫の探偵小説が並んでいたこと、また本屋の何もないカラッポの棚に、ただ1冊藤村の「千曲川のスケッチ」があって手に取ったら50円の値札がついていてびっくりして棚に戻したことなどを思い出した。
 岩波文庫の新仮名の使用についての丸谷氏の意見には賛成。内田百輭の「冥土、旅順入場式」の巻末に、福武書店版「内田百輭」全集を編集した中村武志氏が「内田百輭の作品を新漢字、新仮名づかいにするについて」という一文を寄せている。これは旧漢字、歴史的仮名づかいを大事にした百輭の文章を、岩波文庫に入れるについて心ならずも表記がえせざるを得なかった百輭への「お詫び」の文章である。僅か1ページのものだが心情あふれる、これは必読の文章といってもいい。作品を読みやすくするだけの理由で旧を新に変えればいいというものではないということがよくわかる。岩波文庫は明治の文語文も「新」にしているという丸谷氏の指摘だが、自分は確認できていない。
 日本語に厳格な丸谷氏に一言、タイトルの「80周年」は間違い。「80年」が正しい。80周年とは80年目という今年だけのこと、岩波は80年の歩みを伝えたいために「80年記念」としています。80年間に重きを置いているのです。

 長く続いた「袖のボタン」は今日が最後になるという。吉田秀和丸谷才一が消えて、80才トリオで残るは加藤周一ひとりになってしまった。寂しい話である。