季節はずれの漱石読み。

木曜日   晴れ。
 今日からもう2月、風強く冷たし。おかげで外出せず。漱石の「門」読了。漱石を書き出すと大変だからそれは別にするが、ただ漱石が「猫」をはじめとする小説を書き出したのは日露戦争が終わったころからで、日本の人口が4000万人足らず、父母の世代は江戸時代に生きたひと、東京以外の田舎はまだ「江戸」の雰囲気であり、自然も豊かだったことなどを頭のおいて読むとなかなか面白い。特に「猫」は苦沙彌先生のところに集まる面々の会話を「我輩」が聞いているということだけなので、小説としては面白くないが、その会話の中に時代の雰囲気が読み取れところがいい。漱石、露伴、紅葉、緑雨、は同じ年の生まれだが、漱石ひとりこの時期に外国(英国)暮らしの経験をしているので、明治の日本をその尺度で見てしまうというのが特徴だ。「三四郎」「それから」「門」の3部作は
柳沢大臣じゃないが主題は女性問題、漱石のややひねた女性観があらわれていると思うが、もう少し突っ込んでから判断した方がいいだろう。今年は漱石を読みましょう ということではないのだが、去年「坊っちゃん」だらけの松山から帰って「坊っちゃん」を読み直して、面白さにびっくりした余韻かも知れない。

今日の夕刊に、片山杜秀という、「音楽評論家」の肩書きのある人が、飯森範親指揮の山形交響楽団の演奏会評を書いていた。曲はベートーベンの第四交響曲と、ブルックナーの第四交響曲。1月26日 山形テルサホール。この人は知らない人だが、この音楽評はなかなかのものだ。特にブルックナーの演奏がいかによかったか、また山形テルサホールの響きがいかに優れているか、山形交響楽団がいかに将来性のある交響楽団か等を、わかり易い表現で書いている。この評は、読む者の気持ちを、このホールの演奏会に誘い込むような魅力のあるいい文章だ。はからずも吉田秀和とはひと味違う音楽評に出会えた。因みに、イイモリという指揮者がもう一人います。飯守泰次郎、東京シティフィルの常任指揮者です。