ベートーベンの年?

日曜日 晴れなれど雲多し。
 暖かい。本当に暖冬だ。坂の下の白梅も満開。もっとも一昨年の1月26日のブログに、坂の下の白梅が咲き出した、と記録してあるので花は平年並みなのかも知れない。このところ、ベートーベンの中期と後期の弦楽四重奏曲を聴いている。モーツアルトイヤーが終わったから次はベートーベンというわけではないが、中期の5曲はあまり身を入れて聴いていないから、後期の5曲は何度か聴いているが、後期のピアノソナタ5曲ほどは頭に入っていないためもう少し身に着けておこうという殊勝な志、から聴きだしたという次第。あと5〜6回は聴かないとキチンとしたことは書けない。ただ言えるのは、ベートーベンの32曲のピアノソナタと16曲の弦楽四重奏曲には、57年のベートーベンの人生が映し出されているように思える。モーツアルトは自分の人生を反映させない幸福な曲を沢山書いたが、ベートーベンの曲は違う。悲愴から歓喜まで底が深い音楽だ。それが魅力なのだが、特に後期の5曲のピアノソナタ、同じく5曲の弦楽四重奏曲は神品だ。ただ、山田風太郎がベートーベンの晩年の病気は精神病だったかも知れない。誰もが有難がって聴く晩年の作品は健康な精神の産物ではない。とどこかに書いていたがなるほど、と思わせられる面もある。あれやこれやで、しばらく弦楽四重奏曲に付き合うことになりそうだ。
NHKTVでエルンストヘフリガーのレサイタルを放映している。92年の来日公演だから彼の73才ころの歌唱だ。高音も低音も外れている。発声も年齢のせいか響きがない。曲は日本の歌曲をドイツ語で歌ったもので、当時評判になってレコードも随分売れたと聴いていたが、ガッカリさせられた。ヘフリガーにはマタイ受難曲の福音史家の名唱があり、レコードも何度か聴いているが、この吹き込みは彼が37〜8才のころだった。これがヘフリガーなのだ。今日のヘフリガーは忘れてしまおう。