ベルリン

木曜日   曇り

 

 寒し。雪にはならぬが、日差しもなく、気温だけは低くて中途半端な気分だ。

ツアー会社NT社の月刊誌の記事に惹かれて、12月はじめから10日程、プラハ、ドレスデン、ベルリンを歩いて来た。寒いし、半ボケ、ヨロヨロの高齢であるし、躊躇するところもあったが、ベルリンのフィルハーモニーホールで、ベルリンフィルの定期演奏会を聴くという企画に負けて参加を申し込んだ。もうひとつは、ベルリンには平成2年10月19日、20日という、東西ドイツが統一されて僅か2週間後という、ベルリンの壁崩壊の跡も生々しい時に訪れていたので、その雰囲気が20年後の今 どうなったかを見たいという野次馬的な関心もあった。

 

  

 

 ブランデンブルグ門。旧東ベルリン側。 20年前は門の両翼はベルリンの壁で門を通過することは許されず、門の通過口はソ連の厳重な監視所になっていたせいで、人の姿はみられませんでした。

 東西統一後はソ連は撤退し、門の西側には彼らが置いていった軍服、防寒の軍帽、そして勲章などが売り物に出ていました。ベルリンの壁のかけらを袋に入れて売っているという具合で、荒涼とした風景でした。当時、日本で毎日のように伝えられる、ベルリンの壁崩壊の歴史的な現場にいることの興奮もありました。

 

 

 

 

 これが、ベルリンフィルハーモニーのコンサートホールです。写真では殺伐とした風景の中にある奇妙な建築物ですが、20年前はホールの周囲は市民公園の森林でした。

 

 

 

 これが公園の名残。当時宿泊していたホテルから、一人で早朝散歩気分で歩いていたら思いがけず森の中のこのホールにぶつかったのです。感動しました。当時はデジカメもなく映像がないのが残念ですが、コンサートのポスターに赤い字で乱暴に「SOLD OUT」としてあったのが印象的でした。ポスターを手で撫でてホテルへ引き返したのが思い出です。

ベルリンは東西統一後、ドイツの首都になったのを機に開発が進み、このように趣のない雑然とした都会になってしまいました。ホールの右に一寸見える富士山型の屋根はソニーセンタービル、その前の高いビルはリッツカールトンホテル、皆公園を潰して造られた「開発」の産物です。

 ホール入口 お客さんが集まりはじめました。

 

 

 

 

 

 プログラムはストラビンスキー 組曲1番、シューベルト 交響曲第4番、休憩

ストラビンスキー 組曲2番、ベートーベン 交響曲第4番、という洒落た組み合わせ、

指揮 グスターボ ドダメル。(彼は10月にスカラ座のオケと歌手を連れて来日し、ヴェルデイのガラコンサートと演奏会形式のアイーダ をやっている)

 

  ホールのロビー

 

 

 客席から開演前のステージを見る。

 

 指揮者は、楽員が揃うと下手(左)から出て3段のステップをあがり、指揮台に立ちます。普通のコンサートホールと違うところ。指揮者への親近感が生まれます。

 

 

 

 

 演奏を終わって

 

 

 コンサートマスター 樫本大進さんと。右の女性はヴィオラトップの清水直子さん。

 

 

 

    このホールは客席がオーケストラを包むような感じでオケと聴衆との間に空間的な一体感がある。だから響きも客席の中から沸き起こるような感じで、とくに低音の底力は今まで経験したことのない腹にこたえる力強いものだった。ベルリンフィルは名人揃いだからホールの効果と一体になって、一つ一つの楽器、特に低音の響きがよく聴こえる。ストラビンスキーの組曲2番は管のソロが多いのでこのホールに最適。ウイーンフィルは明るい華麗な響きが印象に残ったが、ベルリンは華麗というより、男性的な膨らみのある音で曲をまとめ、ベートーベンの第四交響曲など、曲が終わるのが惜しいような音を聴かせてくれた。何年か前 ウイーンでウイーンフィルで同じ曲を聴いたとき、

スコアを用意していったのだが、ベルリンは楽器の音がくっきり聴こえるので、スコアを用意してくればよかったと感じた。たしかにウイーンとベルリンは違う。