残照亭日常

月曜日   晴れ 
蒸し暑く爽やかでなし.
鴎外全集第35巻には日記が収められている。松本清張の小説
で有名な「小倉日記」も入っていて拾い読みをしていたら、ベルツ
が、明治32年3月に3日ほど鴎外を訪ねて小倉にきたことを書いている。
ベルツは、朝鮮は北半分はロシヤが統治し南半分は日本が治めるのが
いいと言ったとか、日本文は伊呂波だけでなく洋字も使った方がいいと
話をしていたとか、福沢諭吉には操がないという意見だったとか、興味
のあることを、鴎外は小倉日記に記している。
同じ日のことをベルツがどう書いているか 「ベルツの日記」をあたって
みた。ところが明治32,33年の日記が見当たらないと、注釈がしてあるのだ。
大体、小倉日記もあることは知られながらその所在がつかめず、長いこと
鴎外全集にも入っていなかったのだ。「或る小倉日記伝」は、この小倉日記
を必死に捜し求めた人の物語だが、「ベルツの日記」を探し出す人は出て
こないだろうか。

ブログ再開初日なので、まじめなことを書きこみました。