石川達三 経験的文学論 を読む。

火曜日  晴れ。
朝夕は涼しくなった。今日は湿気もなくカラッとして窓から入る風も気持がいい。このまま秋になることもないだろうが、夏がうしろ姿を見せ始めたのは間違いないだろう。

石川達三という作家がいた。「蒼ぼう」という作品で第1回の芥川賞を取った人だ。もう20年以上も前に亡くなっているから、もう忘れられた人になっているかも知れない。

石川達三は社会派といわれた人で、その作品はひと頃よく読まれたものだ。「人間の壁」「傷だらけの山河」「風にそよぐ葦」「金環食」など。テーマは夫々、教育問題、郊外の開発問題、言論の問題、汚職の問題 など。自分もその幾つかを若いときに読んで感激したものだ。だが今は全く読まれなくなってしまった。書名も知らない人が多いだろう。その多くは新潮文庫で読むことができたが、今は絶版で入手ができない。(独断?)古書店の100円均一コーナーに積んであるかも知れない。

 この人に「経験的小説論」という作品がある。自分の読んだ文学作品を切れ味よく論じていて、とても面白いのだが、これを読むと石川達三志賀直哉谷崎潤一郎、そして晩年の永井荷風などの作品を読むに耐えないと云っている。厳しい戦時、戦後を体験した日本の社会が全く作品に写しだされていないというのだ。中でも荷風の晩年の作品には、荷風の名誉のために出版すべきでない作品まで出されている、とまで断じている。ザックリまとめると、石川達三には社会性のある作品への評価が高いのだ。そのように見ると彼の作品には社会批判をテーマにしたものが多い。ところが、これ等の作品が忘れ去られ、評価していない志賀直哉谷崎潤一郎、の作品が忘れられずに読まれているのは何故か。時代性に強いアクセントをおいた小説は、時代が移ると作品の価値も薄れてしまうということなのか、山崎豊子の作品も時代批判の色が濃いが、石川達三とおなじ運命を辿るのだろうか?興味の残るところだ。

「経験的文学論」は奥付を見ると、昭和45年に定価600円で文芸春秋社から出されたものだが、これが書き下ろしなのか、連載ものを纏めたものなのか、判然としない。私は道端の古本屋で50円で入手した。みつけものだった。

なお、石川達三の作品を一つと言われたら「風にそよぐ葦」をえらぶだろう。戦時の言論統制の問題を描いた作品である。