荷風没後50年

日曜日  晴れ。 

 裁断した庭木の片付けに午後の半日を費やす。平生 動かずにボーッとしている自分にしては珍しいことだ。束ねてゴミ用の袋に詰めたら10袋以上になった。運び出しは明日。

連休も半ばになった。ところで、昭和34年の4月30日、市川在住の一人暮らしの老人が亡くなった。誰にも看取られることなく、吐血して絶命しているのが、訪れた手伝いの老婦によって発見されたのである。机の上には「4月29日、陰」と書かれた日記が残されていた。この「老人」は文化勲章芸術院会員の永井荷風、日記は大正6年9月16日から毎日書きつがれた「断腸亭日乗」である。



時に荷風79歳5ヶ月だった。荷風死去の現場の様子は当時詳細に報道され、毎日新聞には遺体の現場写真まで掲載された。乱雑な6畳間の布団の上が臨終の場だった。このように書くとまさに当今のひとり暮らしの高齢者の抱える問題そのものだが、荷風は大金持ちだった。荷風の絶筆は4月29日の日記ではなく、4月30日付けの自筆の印税領収書があるという。氏名、住所を記し、金額も自筆で弐萬六千七百拾五円也としてあったという。金額を書いて捺印した直後に死去したのではないかと云われている。いずれにしても、荷風の老後は大金が追いかけてくる余生だったのである。

今年は荷風没後50年、だがゴールデンウイークにその旨を伝える新聞記事 TV情報は全くなし。岩波書店が雑誌「文学」の最新号に「荷風没後50年」の特集を組むこと、「荷風全集」を刊行すること、の広告を朝日新聞で見たのが唯一である。荷風は人気がないのだろうか?