多事争論

木曜日  晴れ。
6月もあと2日、この月は殆んど書き込みが出来なかった。21日の朝日新聞に吉田秀和が久しぶりに「音楽展望」を載せていたが、その出だしに曰く。「年のせいで目が悪くなったこともあるが、この頃は新聞を読むのが億劫になってきた。手にとって読む前から気が重くなってきている」同感である。それに付け加えるなら、TVのニュースも見たくない というところか。
 この月は日本の将来を左右する重要な法案がすべて多数を恃む与党の力で採決された。法案成立の場面はすべて怒号の中だ。これだけ理を忘れた強行採決の続く国会は戦後の政治史にはなかったことだろう。130年前、福沢諭吉は理を以って議論をすることを説き、「自由の気風はただ多事争論の間にありて存するものと知るべし」と書いた。(文明論之概略

今の国会に理性を以って渡り合う後世に残るような政策論争はあるのだろうか?新聞もTVもそれを伝えない。「自民党をぶっこわす」式の乱暴なフレーズ以来、深みのある論争が消えてしまった。流れるのは、怒号と乱闘の中に重要な法案が可決されてゆくアジア的な場面だけだ。

 宮沢喜一氏が死去した。87才。宮沢さんの経済運営は大きな問題を残し、評価されていないが、この人は常に憲法全文を持ち歩き、精神の支えは漢学の素養にある、と口にしていたそうだ。一つの「気風」のある人だった。今の顔ぶれとはやはり一味違うものがある。