土曜日 朝 雨  午後から晴れ。
 風強し、暗くなってから気温下がる。
 記念誌の進捗状況を、執筆者7〜8人にtel連絡。
 残りの人には書面で報告するつもり。
 みんな出来上がりを楽しみにしているようだ。
 1月開催の52会の案内状の原稿をfaxで送信。
 長い間の気がかり事項もフィナーレに近づきつつ
 ある。あと気がかりは出来栄えだ。

 「芦田均日記」第2巻読む。昭和23年7月頃までの分。
  この頃は占領下で、GHQの横槍を捌くのが大変だった
 ようだ。丁度、官公労争議権を認めるな という
 指令に困惑しているところ。それにしても、このころの
 庶民の生活は、食糧難とインフレで大変だった時代だが
 そんなことには全くふれていない。政治家とはそんな
 感覚なのだろうか。

 昭和天皇が、宮内庁人事に口を出していたのは意外だった。
 常に「退位」のことが頭にあったらしい。
  NHKで珍しく約2H「能」放映あり。シテ 浅見真州
 ワキ 宝生 閑で大曲「定家」。宝生能楽堂での撮影。
 近頃、出色のカメラアングルだったが、残念ながらアイの
 語りはカットされていた。解説をやめてアイをいれるべし。