志賀直哉の住居

金曜日 晴れ

 

 暑し。異常気象で西日本では33℃を超えた所もあった由。観測史上最も遅い真夏日の記録だという。明後日から秋らしい涼風がたつというがどんなものか。それどころか

台風26号がきて来週の半ばは要注意だという。季節の狂いも甚だしい。

 志賀直哉のただ一つの長編小説「暗夜行路」は、奈良高畑にある志賀直哉邸で最後の筆が擱かれた。ここは「旧志賀直哉邸」として公開されているので、もしや「暗夜行路」の全文の原稿が展示されているか と思い、9月中旬 奈良散策の途次立ち寄った。

 これが志賀直哉旧居

 

  

           

  ところが、志賀直哉は生前、自分の記念碑、持ち物の公開、展示、文学館のごとき顕彰施設の建設など、一切禁じた。残るものは作品だけでいい と関係者、親族に厳命したという。だからこの旧居には、自分の著作だけが戸棚に並べられ、「暗夜行路」の原稿は、書き出しの一枚だけが著作と一緒に戸棚にはいっているだけだ。この旧居そのものも奈良女子大のセミナーハウスとして使われているだけで、「小説の神様」を飾るものは何もない。寂しい感じもするが、志賀直哉の生き方を語るものだろう。

        「暗夜行路」の書き出し

 

 

                  書棚に並んでいるのは 志賀直哉の著作、 直哉は寡作の作家だった。

       漱石「行人」の案内はセミナーハウスの行事

 

                     

 志賀直哉は明治16年2月の生まれ、昭和46年10月没 88歳の生涯だった。彼は生涯に実に23回の転居をした。奈良の高畑には約10年住んでいたのだが、同じ奈良の幸町、京都の粟田口、尾道、我孫子、熱海、等々、そして最後は渋谷常盤松、この人の生涯を転居先を辿って作品を並べてみたらそれなりの論文になる位だが、何故そんなに頻繁に転居をしたのか、調べてみる価値はあると思う。しかも自分の持家は、高畑と常盤松の2件だけ、あとの21ケ所は借り家だったようだ。日本には「貸家」の文化があったのだ。尾道には志賀直哉住居跡の目印があるようだが、ほかの所には何の案内もなく、その場所を訪ねるのは難しいらしい。

 「叙位、叙勲は拝辞いたします」というのが遺族の意志だったという。