ロッシーニ「スタバートマーテル」を聴く

金曜日  晴れ

 

快晴の「秋晴れ」を期待していたが、雲多く湿度も高く蒸し暑い一日だった。爽やかな「秋」には、あと10日くらいか?

  9月1日に放映されたN響のコンサートはよかった。ミョンフンの指揮で、ベートーベン交響曲第2番、ロッシーニ「スタバートマーテル」の二曲。曲も演奏も素晴らしいもので聴きごたえがあった。第2交響曲は前にも書いたが、ベートーベンの交響曲の中でも最も美しい曲、とくに第二楽章の旋律は,すぐ口ずさみたくなる親しみがある。

だが,なぜかあまり演奏されないようだ。N響の演奏を聴いたのも初めてかも知れない。譜面がやさしいので、スコアを開くと自然に曲が立ち上がってくるのが嬉しい。ミョンフンの選曲に感謝すべきだろう。

 「スタバートマーテル」.これも良い曲だ。昔は「聖母哀傷」と訳されていたが、最近は平たく「悲しみの聖母」というらしい。磔刑になったイエスを嘆くマリアの悲しみを綴った教会聖歌に曲をつけたものだが、そんな理屈を抜きにして、はじめの一音から心を惹きつけられる名曲だ。

 合唱 東京混声合唱団(名演でした。東混もオジサン、オバサンが目立っように

なりましたネ。  失礼!) 

 独唱 S,T,Bは韓国の人。Aだけ日本人。

ロッシーニは、4人のソリスト、混声合唱、オーケストラで1時間を超える曲に仕上げている。レクイエムのような荘重な教会音楽音楽ではなく、ロッシーニらしいオペラチックな堂々たる構えの大曲に仕上げている。だから聴きやすく、どちらかといえば快感をおぼえる作品である。そのせいか、敬虔さがない 祈りがない、といって非難されたそうだが、理屈抜きで楽しめる音楽に仕上がったのは、やはりロッシーニだからだろう。

 

 

 

 最後の音が消えるや否やブラボーの声とともに拍手が続き、静寂な祈りの瞬間がなかったが、ロッシーニはこういう音楽なのだろう。

 来週は同じミョンフンの指揮で、モーツアルト 21番のピアノ協奏曲と、マーラーの第5交響曲を放映するそうだ。癪に障るがセンスのある選曲ではないか。