直井 潔の作品を読みたい

水曜日  晴れ

 

 今 朝9時 快晴無風である。ウオーキング日和だが今日は「浜友会」の稽古があるので残念ながらダメだ。

喜多流シテ方能楽師某氏のブログをひやかしていたら、喜多流「青年能」の紹介があった。「青年能」の舞台が踏めるのは、高卒以上、この人達の中から次の時代の舞台を支える役者が育ってくる。「青年能」は一度みておきたい。今年の「青年能」番組は 常政、羽衣、雷電の3番 二番目、三番目,五番目ときれいに揃えてある。 一見の価値あるかも。 6月22日(土)  正午開演           喜多能楽堂

 昭和27年上半期の芥川賞の選評に、「直井潔氏を推す」とした人がいる。滝井孝作である。直井氏の「淵」が250枚の力作で図抜けて佳いと思ひました とコメントしている。だが本作は選に入らず、この上半期は該当ナシだった。

 この直井潔とはどんな人なのか、浅学にして名前も初めてなので調べてみたが、びっくりした。

 

 直井潔は本名溝井雄三、大正4年 広島の生まれ、傷痍軍人である。23歳の時、北支野戦病院で病気療養中関節リュウマチにかかって四肢硬直し、不具廃疾の身体となって帰還した人である。闘病の苦痛は自殺を考えるほど過酷なものだったらしいが、病中、出会ったのが岩波文庫志賀直哉「暗夜行路」上下2冊だった。寝たきりの彼はこの物語に異常に心をゆすられ、後編全文の暗記にとりかかった。1日1ページづつ暗誦を繰り返しついに全文を暗記したという。病院の医師にすすめられ志賀直哉に長文の手紙をかいた。この手紙は、昭和17年6月7日付 和歌山県白浜傷痍軍人療養所から出されたもので「志賀直哉宛書簡集」に収められており、誰でも読むことができる。文章の流れも、センテンスのリズムもキチンとしていて、とても病苦に喘ぐ人のそれではない。

 直井の手紙は志賀直哉に1度自分の文章を見て欲しい ということだったのだが、志賀直哉は作品が出来たら読んであげよう と激励の手紙を送り、文章を書くための参考書を教え、もし読みたかったら貸してあげよう とまで手を差し伸ばしたのである。感激した直井は、三朝温泉での療養を綴った文章を「清流」と題して志賀に送ったところ、これを雑誌「改造」に紹介したいという志賀の返事が届き、直井はベッドの上でガタガタ震え出したという。

 「清流」を読んだ批評家の中には、あれは「濁流」だよ、と言った人もいるらしいが、自分は読んでいないのでわからない。直井潔の作家としてのスタートは、志賀直哉の温かな推薦によるものだが、今直井潔の作品を読むことができるのかどうか よくわからない。いずれにせよ、身体不自由の身で病床で志賀直哉の作品を暗記し、志賀直哉の推薦を貰って世に出たという、特異な作家の作品を一つでも読んで見たいものだ。