北野天満宮と菅原道真

日曜日     晴れ

 

 今日も朝から寒いが風が弱いせいか昨日程ではない。寒さに負けて動かないと、足腰の老化が進む感じがするので、午後は町へ降りて生活用品の買い物。もっと本格的に動かなくてはダメだ。

 

  もう半月前になるが、奈良から京都にまわった。いずれ写真をまとめるが、今日は序の口の一枚。

 

  

 

  「 舞妓体験や」さんの お客さんかな?

 

      

 

 寒いのを無理して、嵐山から嵐電を利用して、まだ梅も咲いていない北野天満宮へ。

人出は少ないと思ったのにこの通り。入学、合格、卒業祈願の人たちでした。そう、天神様はやはり学問の神様でした。

 

 

  境内の梅はこんな具合。まだ固い蕾でした。

 

 

 

 

 有名な話だが、菅原道真の祟り伝説というのがあって、道真を大宰府に追いやった京の都に、道真の死後、洪水、落雷、火事、伝染病の流行、などが相次ぎ都の人は、道真の祟りとして恐れたという。北野天満宮は道真の霊を休めるための御霊神社の役割をもっていたのが、いつか学問の神様として崇められるようななったという。

能の「雷神」は、道真が雷神となって、清涼殿と弘徽殿に交互にカミナリを轟かせるという勇ましい場面があって曲の山場になっているが、北野天満宮の境内に能「雷神」のいわれを綴った「駒札」があるかと思ったが見当たらず、「学問の神様」一辺倒でした。 ただ、拝殿の裏に「文子天満宮」という小さな祠があり、その札板には、北野に住んでいた文子(彼女は貧しい平民)のところに、道真の霊が現れ、自分を北野に祀ってほしいと告げたという。文子が自宅の庭に小さな祠を造ったのが「北野天満宮」の発祥という趣旨の説明文があった。あまり気をつけてみる人は無いかも知れない。なお、ものの本によれば、この「文子天満宮」のおかげで「祟り」が収まったというが、本当かしら。