「生きている兵隊」を読む

日曜日  終日 雨
 
 久しぶり、全く久しぶりのシトシト雨。
折から今日は彼岸の中日。暑さ、寒さも彼岸まで というが、まさにその通り。今日は、最高気温も20℃そこそこで、日中もセーターが欲しい位。
2〜3日前までは秋はどこへ?とうだる暑さを嘆いていたのがウソのようでした。

 ところで、秋というと、文化、芸術、読書、食欲、そして秋晴れ など
明るい前向きのイメージなのだが、今年はどうもスッキリしない。
 日本が周囲の国々に見放され、アメリカにすり寄ってゆく姿をテレビで毎日見せられると、「前向き」どころか希望のつなぎどころがわからなくなる。

 2〜3月前になるが、石川達三の「生きている兵隊」を読んだ。昭和13年「中央公論」の3月号に発表されたもの。有名な作品だがもう読む人はいないだろう。前年の昭和12年に日華事変が勃発し、石川達三中央公論特派員として従軍した。その見聞を綴ったのがこの「生きている兵隊」である。 しかし、すぐに発禁処分を受けた。その後どのようにして発表されるようになったのかよく知らないが、自分は、昭和30年刊、筑摩書房の現代日本文学全集のうちの一巻でこれを読んだ。

 たしかに、この時代の中国、当時のシナに駐留した日本の軍隊は、現地で自らの衣食住すべてを調達「徴発、略奪」して現地の人たちに大変な苦しみを日常的に与えていたことが非常によくわかる。当時 自分は小学校の1年だったが、日本の「兵隊さん」は神様のようなイメージを叩き込まれていた。こんな現実を知る知恵など全くなかった。石川の作品をよく読むと、例の「南京大虐殺」が実際にあったと思わせるところもある。「発禁」処分はあの時代としては、当然だっただろう。

 中国は時代が変わっても、戦時中に民衆が、日本の軍隊から受けた仕打ちを、忘れられない歴史的事実として戦争を知らない若い人たちに教えこみ、展示物として広く公開している。中国の人たちの根っこのところには、歴史の仕返しという心情があるのではないかと思う。
 日本ではどちらかというと、こうしたマイナスの歴史的イメージは自虐史観として表に出そうとしないところがあり ノーテンキなテレビの番組に引きずられることもあって、若い人の問題意識が中国、或いは韓国の同世代の人たちと対話が出来なくなっているのではないか。

 中国とは国交断絶寸前のところまで来ている。面白おかしく代表選を伝えているときではないと思うのだが。