マーラー第9交響曲

  火曜日  曇り

シューマンの歌曲ではないが、「美しい5月」のスタート。だが空はどんよりとして梅雨空の如し。しかも明日から2〜3日は雨の予報!緑の探訪もしたいが、これも空の神さま次第です。この春は天候も不安定で、桜も満足に見ないうちに緑の季節になってしまった感じがするがどうだろうか。

 マーラー交響曲 第9番 ニ長調 を古いビデオでみた。
バーンスタイン指揮、ウイーンフィル。1990年頃の録画、
当時のNHKは、バーンスタインマーラーを連続して放映していた。今のNHKの番組制作姿勢とまるで違うものだった。恐らくそのすべてを録画してあるが、今となっては貴重な記録だ。
この第九交響曲は、マーラーの残した作品の中ではとび抜けてすぐれた作品、という評価を誰もがしている。例えば柴田南雄氏は、その著「グスタフ マーラー岩波新書)」で、「第9交響曲は、マーラーの全交響曲、全歌曲集の中にあって群を抜いた存在である。たんに,異彩を放っている、という以上のものであり、これによって彼の創作活動の画龍点晴が成った、といっても過言ではない。中略 どの楽章のどの主題も、高い音楽的表現力を保有しており、平易凡俗の影はまったくない。」と述べ、吉田秀和氏は、1985年の9月にバーンスタインがイスラエルフィルと来日してこの第9の演奏をしたとき、それをを聴いて「それは期待をはるかに上回る演奏となった。名演というより偉大な演奏であり、私たちきき手はそこでかけがえのない啓示を受けた。(中略)彼の指揮できいていると、この曲の「魂」が私たちに語ろうとしたのが、第1楽章では限りない悲哀と優しい慰めとの対話であること。第2楽章の各種の踊りは変遷、変転、変貌の種々相であり、そこには死のにがい舞踊まで登場すること。第3楽章は行進、と同時にどこに向かっての行進か という疑問でもあること。そうして終楽章は祈願であることがつぎつぎ明らかにされて来るような気がしてくる。」との評を朝日新聞に寄せている。何しろ
 岩波新書も朝日新聞も共に今から25年以上も前のものだが、考えてみると自分の第9へのこだわりも長いものだ。
 たしかにマーラーのほかの交響曲にくらべると、この9番は大音響で脅かされるような雰囲気ではなく、使われる楽器にも特殊なものはない。打楽器の種類が多い程度。最後がアダージョでビオラとチェロが静かに切れ切れの音を残して終るところなど、
まさに祈りの曲なのだ。この曲が完成して1年後にマーラーは世を去り、その1年後に弟子のワルターがウイーンフィルを指揮して初演した。だからマーラーはこの自作を聴いていないのだ。

バーンスタインは、ビデオで見ると全身全霊を注いだ、それこそ声涙ともに下るような指揮で、ナマで接すると感動的な演奏だったと思うが、残念ながらテープも古くなって音質が劣化し、折角の曲も台無しのところがある。たしかに、第9は、マーラーの他の交響曲にない穏やかな そして深いものを感じさせるような音楽だが、自分は残念ながら柴田、吉田両氏が述べるような高い感動を覚えるようなところにはまだ至っていない。LPで聴いたカラヤンの演奏がいいと思ったが、恥ずかしながら自信をもって「マーラーの第9を聴きました」とは言い切れない。
 小澤征爾がボストンを辞めるとき、涙ながらに振ったのがこの第9。ビデオ収録はしてあるがまだキチンとは聴いていない。
 それにしても、マーラーは何故こんなに巨大な交響曲ばかり書いたのだろう。演奏も鑑賞も大変だ。覚悟がいります。