ブルックナー、ノヴァーク版とハース版の悩み

水曜日  曇り

 気象情報では、今日は梅雨の晴れ間ということだったが雨は降らなかったが「晴れ間」はなし。おかげで暑くて汗の出るような思いはしなかった。

この何年か夏の暑い時にムリして ゴツイ曲を聴くようにしている。マーラーの交響曲全曲、ベートーベンのピアノソナタ全曲、ワグナーの「指輪」全曲 など。愚かな自己満足に過ぎないが
この頃のような世のゴタゴタから老人が逃げ出すには最良の手段かも知れない。

 今はブルックナーの交響曲を聴き出した。全曲ではない。4番、7番、8番、9番の4曲だ。ブルックナーマーラーより30年程前の世代、ブラームスより10年程先輩になる。ブラームスほど親しまれないのは、どの交響曲も重厚長大、生真面目で愛嬌がないからだろう。それだけにジックリ聴けば汲み取れるものも多いと思うが、困ることはブルックナーの交響曲には版の問題があって、指揮者により演奏する版が違うことだ。たとえば、カラヤンはハース版、チェリビダッケはノヴァーク版というように。

 ブルックナーのスペシャリストであった朝比奈隆の追悼番組で彼の振ったブルックナー演奏の映像をが幾つか流れが、朝比奈はすべてハース版ということだった。
 それに自分のようなシロートが入手出来る廉価な楽譜はノヴァーク版だけで、ハース版は入手出来ないということだ。(独断かな?)

 古いLPには演奏の版が明記してないものもある。セル、クリーブランドの8番の交響曲の解説にはハース=ノヴァーク版という意味不明の解説がついている。この8番の版の問題を解説した文書に 第1楽章と第2楽章は二つの版は殆んど同じだが、第3、第4楽章は全く違う曲になっている、としてあるが、ハース版を演奏しているカラヤンを聴くと第2楽章のトリオがもう、ノヴァーク版の楽譜と全くちがっている。またチェリビダッケの演奏もトリオがノヴァーク版と合わない。だからチェリビダッケの演奏はノヴァーク版とは言い切れないのだ。
 何も楽譜など気にせずに音だけ流しておけばいいようなものだが、それは或る程度曲を覚えてからのこと、ブルックナーマーラーはそれではダメなのだ。困ったものだ。
 4番の交響曲は古いベ−ム ウイーンフィルのLPを聴いたが、演奏はノヴァーク版と明記してあり、手持ちの楽譜で最後まで追うことが出来る。マーラーより追いかけ易い。この当たり前のことがブルックナーには難しいのだ。シロートの悲しさか?