岡本経一(キョウイチ)と青蛙房

月曜日 雨
朝から氷雨、寒し。暖冬とは全くの予報外れだ。気温だけでなく太陽が出ない。冬の梅雨とでもいうべきか?

 岡本綺堂の人物と作品を世に知らしめ、青蛙房を創業した、岡本経一について知りえたことを、少し記してみたい.

今まで全く気が付かずに見過ごしていたが、青蛙房刊行の書物の奥付には皆、発行者 岡本経一 と記されている。青蛙房のオーナーは岡本経一だったのである。そしてこの「青蛙房」という社名は綺堂の作品「青蛙堂鬼談」からとり、昭和30年、「半七捕物帳」「修善寺物語」などの岡本綺堂の作品を世に遺すために、岡本経一の手によって創業されたのだという。

 ところで 岡本経一は大正14年 岡本綺堂家に書生として住み込み、昭和12年に岡本家の養嗣子となった人である。経一がどういう経緯で師匠の養子になったのか、綺堂も本人も何も語っていないので良く分らない。当然その記録はある筈だが、それを探る手がかりがない。

青蛙房本の奥付を見ると、著者の捺印と出版された部数を記した証票が貼ってある。これは著者に出版部数を明示し、著者も了解したという証明で、印税計算の裏づけとなるものである。昔の本には必ずこの証票が貼ってあったものだが、戦後間もなくこれはなくなってしまった。著者も部数が多くなると捺印が大変だったようで、弟子や門下生が捺印を代行していたようだ。ある時期まで奥付に「著者との話し合いにより捺印廃止」との断り書きがあったが、今はそれもない。だから部数と印税の相関がキチンとなっているかどうか 誰もわからないわけだ。この証票を続けているのは、青蛙房一社
だけで、経一氏は珍しい倫理観の持ち主だったことがわかる。実にキチンとしていたわけだ。 

志をもって孤高を保ってきた感のある書肆 青蛙房も時流にさからえずは世から消えてしまったようだ。誰かこの小さな出版社の生涯を書いてくれる識者かファンはいないだろうか?