人間的なコミュニケーション 綺堂日記

金曜日  終日 雨

朝から風雨気味で寒し。最高気温も10℃に満たなかったようだ。午前中に整形へ、腰の牽引と電気治療で110円也。雨でも患者多し。皆老人だ。爺さん患者には相互の会話なし。

 今、世の中のコミュニケーションはケータイに依存していて、お互いに(^−^)を見せて会話をしなくても取り敢えずの用件はメールで事が足りるようになっている。それはそれでいいのだが、若い人には(^−^)を会わせて会話をする という基本的なコミュニケーションが敬遠されているらしい。人間的な交流など面倒くさいというのだろう。こういう人達が増えて 社会の中枢を占めるようになったら どうなるか?

 2〜3日前から「半七捕物帳」を書いた岡本綺堂の日記を読み出した。

劇作家の彼の日常は、原稿書きの合間に、訪れる人に会ったり、手紙を貰ったり、書いたり、また、人を訪問したり、病気見舞いにでかけたり、まさに人間と人間の交流の毎日だ。独りで散歩に出て古本屋で本を仕入れているが、これは大正の震災で蔵書をすべて失ったからだ。まだTVはないし、電話もなかったようだ。日記はその生活と交流の記録を毎日克明に綴っているのだが、若い人が読んだらどんな感想を持つだろうか?自分は読みながら 今に比べると万事能率は悪いし、不便だが、これが人間生活の原点ではないか という感じを受けている。浩瀚な正続2冊本(青蛙房刊)なので、年内に読み終えるかどうか。このような書物を読めるのは幸せなことなのかも知れない。