「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」

土曜日  晴れ。

暖かし、明日はまた雨模様で寒くなると気象情報は伝えている。気象がおかしい。

岡田外相が就任早々、外務省の責任ある部署に「沖縄への核持込密約」疑惑について調査の上報告するよう命令を出した。それに直接の関連はないが、今日の朝日新聞夕刊に、「交渉当事者の暴露本 15年経て新装なる」との記事が載った。「暴露本」とは何か。交渉当事者たる若泉敬氏の大著「他策ナカリシヲ信ゼムと欲ス」のことである。

 この本を読んだのは15年前の秋、初版が刊行されて間もなくのことだった。著者 若泉氏は国際政治学者、1969年、佐藤栄作首相の特命で、沖縄返還交渉の密使となった。アメリカ側の当事者はキッシンジャー国務次官補、沖縄返還交渉は若泉、キッシンジャー、佐藤、ニクソンの4人の手で進められたという。
本書は、70年に沖縄返還に関する日米共同声明が出されるまでの外交交渉の舞台裏のすべてをを綴ったものである。こう書くと興味本位の裏面史のようだが、そうではない。交渉に奔走する著者の心にあったのは、戦場となって悲惨な運命を背負った沖縄の人達を故国に復帰させることだけだった。
本の終わりの方に「私がこの物語においてめざしたところは、単なる回顧録ではない。」「事実をありのまま述べようとした・・・・”宣誓供述書”である。」と書かれているが、まさにその通りの内容である。本の扉を開くと先ず沖縄攻防戦で犠牲となった「沖縄県民多数を含む彼我20数万の御霊に捧げる」とした鎮魂献詞があり、次に「何事も隠さず、付け加えず、偽りを述べない」として、サインと捺印がある。そして、本書刊行についての関係者への謝辞があるが、巻末の出版社の「お願い」を読むと、著者から、
本書に書かれたのはすべて事実であって、これ以上でも以下でもない。従って、内容についての問い合わせ、面会、℡等はすべて固辞する との意思表示があったことが述べられている。そして本書の印税等の収入はすべて社会に還元するとの意思表示があり、その手続きを出版社に委託されたそうである。本書刊行後、若泉氏はTV,雑誌等表に出ることは全くなかった。書評も出なかった。自分が見たのは、「日経ビジネス」に載った松浦製作所の松浦社長の感想文だけである。そして96年7月 朝日新聞が若泉氏が福井の自宅で腹膜炎で死去されたと伝える訃報を載せた。
 ところが、若泉氏は病気ではなく、国家機密を公にした責任をとって自宅で服毒自決された のだそうだ。若泉氏と親しかった手嶋龍一氏など、知る人ぞ知る事実である。
 こいうことで、この本は「暴露本」等と云う扱いは出来ないものなのだ。本書は、崇高な使命感を以って書かれた魂の書であり、決して「暴露本」などという次元の低い書物ではない。もう一度読み直す価値がある書物である。

 なお余計なことだが、本の題名「他策ナカリシヲ信ゼムと欲ス」というのは、日清戦争当時、外務大臣として、多事多難な明治期外交を担った陸奥宗光の回想録「ケンケン録」からとったものである。(ケンとは思い悩むさまをいう)
 岩波文庫所収の「ケンケン録」を見ると「余は当時何人を以ってこの局に当たらしむるもまた決して他策なかりしを信ぜむと欲す」という文章が出てくる。371ページ。まさに若泉氏の心情である。
岩波文庫は平仮名)
 若泉氏は陸奥宗光の懊悩に、自らを重ねていたに違いない。