鳩山日記

金曜日  曇り。

降るでなく、晴れるでなく中途半端な天気、おかげで外出出来ず。


鳩山兄弟?


 鳩山兄弟の祖父 一郎の残した、1938年2月から1959年3月に至る日記が、中央公論社から公刊されている。尤も1952年から59年の7年間は薫夫人の手になるもので、一郎が時々手を入れるという珍しい構成になっている。一郎は1954年12月から56年12月までの2年 内閣総理大臣であった。
1959年3月7日 76歳で死去。薫夫人はこの日に日記に 主人ついに永眠 と淡々と記している。
尚、夫人ははその後23年健在で、1982年8月に96歳で死去した。

ところで、肝心の日記だが、この日記は、毎日多くの人と交わった交際の記録である。新聞に首相の動静が毎日載っているが あれの連続と思えばいい。政治家というのは如何に多くの人と毎日顔を会わせねばなぬかということがよくわかる。だがそれだけに内容は平板で、戦中戦後、昭和の政治の中枢にあった人だから、もう少し自分の個性を生かして、その時々の事象への鳩山一郎としての評価を残して欲しかったと思う。薫夫人の記述も毎日の交流の記録だが、誰が手土産に何を持ってきたか、とか、夫人連とのパーティーの様子とか、戦後首相の一郎に同行してソ蓮を訪れた時の歓迎の有様、晩餐会の献立など、記述が細かく具体的で、その点は面白い。首相「外遊」の豪華な雰囲気が伝わって、小泉 や麻生が外国に行きたがる理由がよくわかる。

それにしても、鳩山日記に決定的に欠けているのは国民への思いだ。自分のレベルに合う周囲の人、自分の立場に発生する事柄の記録だけに留まっていて、国民生活については全く記述がない。その点「芦田均日記」の方が目配りがいい。
 夫人の日記に、ユキオちゃんとか、クニオちゃんとかいう言葉が出てくるが、2人の育った風土が、およそ庶民ばなれしていることがよくわかり、恐ろしくなりました。