トリスタンとイゾルデ

日曜日 雨
やや涼し。半袖では冷たいくらい。梅雨も近いか?

ワーグナートリスタンとイゾルデ」全曲を聴く。1983年のNHKの録画。バレンボイム指揮のバイロイト音楽祭の収録。この曲は、作曲技法の上でも、究極の愛を描いたテーマの上からも、それまでにない音楽史上に輝く「崇高」な音楽と云われている。ところが、恥ずかしながら集中して聞いてもこの曲には、15時間もかかる「指輪」のように、胸にグッとくるものが残らない。なぜか?

 要は音楽の山がないのだ。 

延々4時間を超えるオペラだが(ワーグナーはこの曲を歌劇とも楽劇ともよばず、何の指定もしていない。)主役の2人は動きが少なく、全編を通して悲痛な「愛と死」を語りに語るのみ。ドラマの運びは脇役の4人が進める。トリスタンとイゾルデの歌唱は、半音階だらけで、能の謡いのような感じ、だから、何度きいても口ずさむことが出来ない。これを覚えて舞台に出る歌手は大変だということが良く分かる。そういえば、この曲の歌だけを取り出して演奏されるれる例をしらない。メリハリがないので、部分をきいても面白くないのだろう。ワーグナー自身はこの曲がお気に入りで、序奏と最後のアリア部分を取り出して「序奏と愛の死」というオーケストラ曲を別に作り、これだけは名曲として演奏会のプログラムにもよくのっている。自分も時々聴いているが、聴いてもモヤモヤした音が流れるだけで、面白くなかった。ただ全編を聴いた今なら、印象が違うと思う。専門家は、この曲について「トリスタン和声」とか、調性にこだわらぬ12音音階の先駆けだとか、難しいことを云っているが、そんなことは趣味の問題、素直に聞き流せばいい。

 トリスタン   ルネ・コロ     テノール
 イゾルデ    ヨハンナマイヤ   ソプラノ
  
この2人とワキを務める歌手はみんな名唱である。尤も、歌い手が弱いと全く音楽にならないこわい「オペラ」である。

 バイロイト祝祭管弦楽団    ダニエルバレンボイム指揮



 今日のN響の時間はドボルザーク「新世界」と「チェロ協奏曲」。今年2月の定期。この2曲は口ずさめる。文字通り名曲だ。因みに「新世界交響曲」が作曲されたのは1883年で、ワーグナーの没した年である。ならべてみると、ワーグナーの先進性が理解できるような気がする。