終戦の日

水曜日 晴れ。
猛暑続く、館林 40.2℃、東京38℃。
 今日は62年目の終戦の日だが、内田百輭の日記を見ると、62年前のこの日、東京の気温31,4℃と記録されている。記憶では当日はカンカン照りで暑かったが、今に比べれば楽なものだった。いや、クーラーも食料も無い焼跡生活だったのだから「楽」というべきではないだろう。
 終戦の日というのでTVは決まりきった回顧番組を並べている。ここでは手元にある文人5〜6人の62年前の今日の日記を一言づつ並べてみよう。余計な注釈はいれないがTVの特集番組とニュアンスが違うような気がする。TVは15日だけの映像ではないからだろう。

 内田百輭。「正午少し前、上衣を羽織り家内と初めて母屋の二階に上がりてラヂオの前に坐る。天皇陛下の御声は録音であったが戦争終結の詔書なり。熱涙滂沱として止まず。」後略

 山田風太郎。「十五日(水)炎天  帝国ツイニ敵ニ屈ス。」

 徳川無声。 前略 「正午である。「コレヨリ畏クモ天皇陛下ノ御放送デアリマス、謹ンデ拝シマスヨウ 起立ッ!」号令が放送されたので、私たちはその場で畳の上に直立不動となる。中略、玉音が聴こえ始めた。その第御一声を耳にした時の肉体的感動。全身の細胞ことごとく震えた。」後略。

  大仏次郎。「八月十五日 晴。朝、正午に自ら放送せらるると予告。予告せられたる十二時のニュース、君ケ代の吹奏あり主上自らの大詔放送、次いでポツダムの提議、カイロ会談の諸条件を公表す。台湾も満州も朝鮮も奪われ、暫くなりとも敵軍の本土の支配を許すなり。覚悟しおりしことなるもそこまで切なるものあり。」 後略

  永井荷風。前略「S君夫婦、今日ラヂオの放送、日米戦争突然停止せし由を公表したりと言ふ。あたかも好し。日暮染物屋の婆、鶏肉葡萄酒を持来る。休戦の祝宴を張り皆々酔うて寝に就きぬ。」欄外墨書「正午戦争停止」


  高見 順。前略「十二時、時報。君ガ代奏楽。詔書の御朗読。矢張り戦争終結であった。君ガ代奏楽。つづいて内閣告諭。経過の発表。遂に敗けたのだ。戦いに破れたのだ。夏の太陽がカッカと燃えている。眼に痛い光線。烈日の下に敗戦を知らされた。
 蝉がしきりと鳴いている。音はそれだけだ。静かだ。」後略。


  本日 気温 本年最高。 株価 本年最低。