平林たい子のこと

火曜日  雨。
 雨、風もやや強く嵐の前の如し。気温も低く10月上旬並みと予報官は伝えていた。冬の足おとが近づいているようで心細い。2〜3日前まではむし暑さを嘆いていたのに勝手なものだ。
 平林たい子が昭和32年に発表した長編自伝小説「砂漠の花」を読んだ。「平林たい子」はもう忘れ去られて作品など知っている人は少ないだろう。昭和47年に亡くなるまで、昭和の始めから
昭和30年代にかけて作品を発表しているが、その数は余り多くない。戦後間もなく発表した「こういふ女」が、当時の女流文学大賞を受賞している。平林はプロレタリア作家としてデビューしたが、紆余曲折を経て戦後に花の開いた人だが、「砂漠の花」は自分の泥まみれの半生を率直に綴ったもの。書かれている人が全て実名なので臨場感がある。林芙美子、堺利彦、大杉栄荒畑寒村、園地文子、長谷川時雨葉山嘉樹宮本百合子など。昭和2年に小堀甚二と結婚し29年に離婚しているが、彼女はそれまでに3人の男と同棲し、子供も生んでいる。この子はすぐに病死
小堀との結婚生活も平坦でなく、男女間の問題で争いが絶えず、家庭の姿ではなかった。昭和12年には、言論問題で夫婦とも検挙されたが、平林は重病にかかり釈放されている。「砂漠の花」は、こうした自らの貧乏と、病と、男女間のトラブルにからまれながら、作家としての歩みをどのようにして築いたかを率直に綴った半生記である。やや平板で読むのに少し忍耐がいるが、歴史の証言として読むと面白い。離婚直後から書いたもので半生の決算のつもりだったのだろう。同じような人生を歩んだ林芙美子が折りにふれて顔を出すが、林の方がくよくよしない明るい人だったらしい。平林は晩年「林芙美子」という著述を上梓している。

 「砂漠の花」は、筑摩書房 現代日本文学 第17巻「平林たい子集」所収 昭和49年刊。

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